journal

メンヘラおばさんの日常

見えない障害バッジをつけてみた

「見えない障害バッジ」は、「わたしのフクシ。」というサイトで販売されているものです。バッジというか、ストラップやキーホルダーの形をしています。

 

 本当はヘルプマークを入手したかったのですが、私の住んでいる地域ではまだ導入を検討している段階ですので、まだ手に入れることができません。もし自分の住んでいる地域でも導入されれば、こちらを利用したいという気持ちはあります。

ご存じですか?ヘルプマーク/京都府ホームページ

義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで援助を得やすくなるよう、作成したマークです。

 街中や公共交通機関など生活の様々な場所で、周囲からの配慮を必要としている方がいます。
 ヘルプマークを身に付けた方を見かけた場合は、電車内で席をゆずる、困っているようであれば声をかける等、思いやりのある行動をお願いします。

 

 ただ、これらのマークを着けたからって、どうなるんだろうと思うのですよね、私の場合。

 交通機関で座席を譲ってほしいか、というと、まあ譲っていただけるならありがたいです。電車の振動に対して使う気力を節約できますから、座れると本当に楽です。しかし、座った瞬間iPhoneで音楽を聴いて目をつぶる私を見て「コイツ座りたいだけじゃねーのか」と疑われるぐらいなら、譲っていただかなくて結構なのです。

 駅や商業施設内でアワアワしているときに声をかけてほしいか、というと、それはもう絶対かけてほしくないのです。知らない人が近づいて来たら刺されるんじゃないかと思うので、どんなに挙動不審でもそっとしておいてほしいのです。

 

 ではなぜ私はこのバッジをほしいと思ったのだろうか。

 ぱっと思いついたのが以下のような場面です。

 

想定される場面①

  • 電車の中で座っている私の前に(あるいはすぐ横の通路に)オジイサンとかオバアサンが仁王立ちになって睨みつけてくる

 すみません、無理です。席譲れなくてすみません。私がチョロそうだと思ってターゲットにしてるんでしょうけど、期待に沿えなくてすみません。電車の中では息をするだけでやっとなんです。優先座席の前が空いているのでそこでやってください。

 

想定される場面②

  • 電車や喫茶店などで、オバサンやオネエサンやママトモサン(子連れ)の集団が大声で歓談していて、私が耳栓をはめるのを見て厭な顔をされる

 すみません、無理です。あなたたちが特別うるさいと言いたいのではありません。私の神経が耐えられないだけです。ポンコツですみません。どうか気にせず歓談を続けてください。

 

想定される場面③

  • 電車に乗る前、ホームで整列して待っているのに、電車が到着してドアが開くタイミングでするっと横入りしてくるオジイサンをすり抜けて自分が先に乗車する

 すみません、無理です。「決められていること」が決められたとおりにならないのが許せないのです。「老人をいたわる心」よりも「決められたルール」のほうが私にとっては大事なのです。ルールが守られない世界は、私にとって崩壊しているに等しいです。お願いですから列に並んでください。

 

 自分の場合、外出するとこういう場面が少なからず発生します。このときに「すみません、無理です」を、このバッジが私に代わって伝えてくれないかなあ、と……。

 

 なんというか、どのパターンも言い訳臭くてアレですね。もはや「こんな私が電車に乗ることを許してください」と言いたいがためのものですね。「それが厭なら電車に乗るな、公共の場に出るな!」と言われてしまえばおしまいですね、ハハハ……。

 義足や人工関節もなくて内部障害でも難病でもなくて妊娠初期でもない、ちょっと発達がアレな感じになっちゃってるメンヘラおばさんが、こんな使いみちのために購入してしまってよかったんだろうか。「わたしのフクシ。」さんの意図するところとずれていないだろうか。「私は困っている人なので配慮してほしい」と意思表示をする資格が、そもそも私にあるのだろうか。

 

 というわけで、twitterでは結構目立つ位置につけていた「見えない障害バッジ」ですが、現在はもう少し目立たない位置につけてあります。購入後まだ1度も電車に乗っていないので、何かしらの効果(周囲への影響にせよ、自分自身の心理効果にせよ)があるのかどうかもわかりません。

 今のところそんな感じです。オチがなくてすみません。