読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

journal

メンヘラおばさんの日常

勇気を出してカイゼンを求めてみる

 このままではイカン、耐えられない。

 夜中に手首をぶちぶち切りながら考えた。

 一度しっかり話をしなければ。あくまで冷静に。論理的に。

 

 というわけで起きて昼。

「ただいまー。あ、今日ね、排水管の清掃の人が来てくれるんだって~」

と、ご機嫌で帰ってきた母に「お話があります」と伝える。

 

母「なにー?」

私「お母さんは病気の私に気を遣って話すのはもう厭だと思っている?」

母「は?」

私「お母さんは病気の私とは話したくない?もう面倒を見たくないと正直思っている?」

母「……いや?」

私「お母さんは病気の娘は正直要らなくて、病気じゃない娘とだけお話したい?」

母「病気じゃないメンヘラちゃん?……えっと……え……?」

私「もしお母さんがそういう気持ちだったら、これ以上関わらないほうがお互い良いと思うし、世帯分離して私だけ生活保護を受けるっていうことも考えてるんだけど」

母「え、なんでなんで!?」

 母はポカンとしている。どうも演技ではない。ということは。

 

 私がこの2日間悩みに悩んでいたこと自体、この人は一切気づいていない。

 

私「おとといからずっと悩んで考えてたんだよ、私。そしてそういう病気なの」

母「うん、病気っていうのはわかってるし、わかってるんだけど……わかってないのかなあ……」

私「お母さんはできるだけ病人扱いしないで普通に接しようとしてくれるよね。それはそれでありがたいのだけれど、求められる「普通」のレベルが高すぎて対処しきれないのね、やっぱり。病人だから」

母「はい」

私「お母さん、私に愚痴言うでしょ」

母「言うねえ」

私「お母さんが子供のころどんなにかわいそうな目にあったか、学生時代にどんな男とつきあったか、私全部言えるよ。あとお父さんの愚痴とかママ友の愚痴とか」

母「言ってるねえ」

私「お父さんのことは私しか聞く人いないから仕方ないけど、幼稚園時代の同級生のナントカ君のお母さんがこういう理由で嫌いでこういうふうに見下してるっていう話は、ぶっちゃけ私としてはどうでもいい」

母「はい」

私「健康なときなら聞いてあげられるけど、今は無理」

母「はい、ごめんなさい」

 

nikon-deux.hatenablog.jp

私「あと、何年か前、自傷するときってオナニーしてるみたいな気持ちなの?って聞いたでしょ」

母「え、私そんなこと言ってないよ」

私「(覚えてないんかい!と心の中で絶叫しつつ)言ったよ。私覚えてるから。一生忘れないと思うよ」

母「そんなこと言ったんだ、うわあ……」

私「言われたときは何も言い返せなかったけどね。もしかしたら、自分が怒るのは認知が歪んでるからかもしれないから。そういう病気だから、怒ったりしたらいけないんじゃないかなって。でも何年もかけてわかったよ、これは怒っていいんだって。」

母「そりゃそうだ」

私「だからね、私おとといからずっと怒ってるの。そういうのが永久不滅ポイント的にたまってきたから、耐えられなくなったの」

母「ごめんなさい」

私「謝ってほしいわけじゃないんだけどね。世の中には働けないなら出ていけと言う親もたくさんいて、私はすごく恵まれてるし、そこは感謝しているの。だから言いたいことがあっても言う資格ないと思ってずっと我慢してきたんだけど、今日は言おうと思って昨夜からずっと考えてたの。手首切りながら考えてたの。切りながらじゃないと考えがまとまらなかったの」

母「言ってくれてよかったよ」

 

 とりあえず現時点で考えていることを伝えられてほっとした。一応、言ったら言った分だけ伝わるということはわかった。ただ「察してほしい」というのは無理な要求であるようだ。

 母親みたいなタイプからすれば「イラッとすることがあったらその場で言ってほしい」のだと思う。しかし、メンヘラさんはイラッとすることがあっても「これは病気のために脳が誤解してイラッとしているのかもしれない」と考えてしまうので、その場で怒れないのである。「怒っていい」と気づいたときにはすでにその話題が終わっていたり、何年も経過していたりする。なので、そもそもイラッとするようなことを言ってほしくないのである。

 あと、自傷については「多少やっても死なない」ということだけは確実にマスターしたようで、やった痕跡や傷跡を見ても正直何も感じないみたいだ。慣れってすごい。

 

人間とは何にでもなれる動物で、どんなことにも慣れることができる存在だ

死の家の記録 (新潮文庫)