繰り返される悲劇は喜劇になる
前回母親ともめた続きです。
このあと数日間、母親とほぼ口をきかない状態が続き、いろいろとやりづらいのでこちらから問いかけました。概要としてはこんな感じです。
Q. 愚痴のゴミ箱として機能しない病気の娘を持って迷惑だと思っているか?
A. No.愚痴を言うのは自分が悪い。一緒に暮らす家族としてマナー違反だった。とても反省している。
Q. 今日はとても反省しているのが伝わってくるが、なぜあの日は「チッうっせーな反省してまーす」的な態度だったのか?
A. 自分の悪いところと正面から向き合うのが厭だった。いい加減にして流してしまおうとしていた。
Q. 私が今こうして話しかけなかったら、永遠に口をきかずにいるつもりだった?
A. Yes.
Q. 前にもこんなことがあったような気がするけど?
A. たぶん3回目くらい。
Q. なぜ繰り返すのか?
A. 忘れるから。今度から大事なことは日記に書く。もう2度としないように気をつけるけど、もしやってしまったときは……いや、気をつける。
ああ、これ4回目絶対あるわ……という感じでお話が終わりました。
っていうか、このブログをさかのぼると、ほぼ同じ経過を繰り返していることに気がつきました。ブログって便利だなあ(白目)
毎回私が手首をイカ焼きにしてから母親がカタルシスを得る展開になるの、なんか納得いかないんですけど……。
あと、こちらから詰めていくスタイル、すげーつらいです。この場合、こっちに正論しかないじゃないですか。しかも弱者ポジションもこっちのものじゃないですか。相手をめっちゃ悪者にして、しかも逃げ場がないスタイル。これつらいよ。詰めるほうも詰められるほうもめっちゃつらいよ。こんな展開もう厭だよ。子どもを叱るならいざ知らず、お互いものすごくいい大人なんだから、もうほんとにやりたくない。4回目があるなら、うまいこと私をだまくらかして良い気分にさせてごまかしてほしい。
医師に詳しく経過を話したら、「愚痴が始まると思ったら『その話は聞きたくない』という意思表示をしてさっさと自室に逃げてください」と言われました。あ、やっぱり次があるという前提なんですね先生。
友達にもちょっとだけ相談したんですが、「一緒に住んでるからそうなるんだよ」という斬新な意見が出ました。うん、まあ、そういう面もあるかもしれんね……。
だとすると自立、主に経済的自立っていうのが課題になるわけですが、就労不可である現時点で実行するのは難しいですね。加えて近い将来、両親がそろって要介護状態になる可能性は限りなく高いわけで、それをふまえるとわざわざ家を分けるのは無駄金になりそうな気がします。
うーん、なんとも結論が出ない感じですが、これを書いている今もぐだぐだと同居を続けています。たとえば私が寮付きの自動車工場に出稼ぎに行くとか、突如として東南アジアに逃げるとか、そういう劇的な行動を起こさない限りはこのままなんだろうな。