自分の言葉で考えるということ
私は関西生まれ関西育ちの関西人です。
でも、関西弁があまりうまく話せません。
父親が九州、母親が東北の出身で、2人が出会ったのは関東でした。
そのため、家庭内での言語はずっと標準語でした。
初めて関西弁を聞いたのは、幼稚園に入ったときだと思います。
3歳児が「アホ」「ボケ」「ナス」「カス」と罵り合うカオスな幼稚園でした。
私は完全に縮み上がったのだと思われます。あまり詳しくは覚えていませんが、「幼稚園に行く」というシーンと「きょうはようちえんで泣かずにすみますように」という気持ちがセットでした。残念ながら登園した日は1日最低1回は泣いていました。男の子は特に怖いと思っていました。
エスカレータ式の小学校にあがるころには、私はあまりしゃべらない子供になっていました。さすがに、関西弁を話すことができるようにはなりました。しかし、あまりしゃべらないため友達を作るのは苦手でした。高学年になると孤立したりいじめられたり、エスカレータ式の中学校にあがると孤立したりいじめられたりしました。
高校に入学すると、「人数足りないから入らない?」と演劇部に誘われました。演技はたぶん下手でしたが、セリフを読むのは好きでした。今にして思えば、演劇の脚本はほとんどが標準語で演じられることを前提に書かれていたからだと思います。練習をしている間は、その流れで標準語で話しても違和感なく受け入れてもらうことができました。イントネーションがつい関西弁になってしまうこともないので、私は初めてアドバンテージを得ることができました。
その後、東京の大学に行きました。在学中の4年間、私は自分の思ったことを思ったとおりに話すことができるようになりました。その解放感と言ったら……いつまでもこの生活が続けばいいのに、と思いました。
しかしてしかして。新卒での就活で大失敗し、いろいろあって自力で歩くこともできないくらい痩せて、地元に強制連行されることになりました。さようなら夢の生活。地元では(まともな)正社員の求人がないので、アルバイトやら派遣やら、いろんな職場でいろんな仕事をすることになりました。全国から人が集まっている会社に派遣されていたときは、標準語で話しても問題ありませんでした。
だがだがしかし。同僚も上司も取引先もお客さんも100%関西人である場合はそうではありません。TOEICよりもOfficeの資格よりも重要なのが「関西弁」というスキルでした。
電話でも対面でも、標準語で話す場合と関西弁で話す場合では、相手の反応が明らかに違うのです。標準語で言って聞いてくれないことでも、関西弁で話すと聞いてもらえます。これは大発見でした。京都の人には少しゆっくりした口調で丁寧に。大阪の人にははっきりした声で、なれなれしいと(自分が)感じるくらいがいいようです。
これはおいしい。おいしすぎるでしょ。話し方を変えるだけで仕事がうまくいくなんて。ビジネス書のタイトルみたいじゃん。
私ははりきって関西弁で話すことに努めました。
「ほんまに申し訳ないんですけどね~、この書類のここんところも記入していただきたいんですう~(語尾を微妙に上げてから下げる)」
「ほしたら(そしたら、の意味)水曜日までにお願いできますか~(ゆるやかに語尾を上げる)」
「ほんますみません、ありがとうございますう~(ございます、だけ語尾を上げる)」
……これは使える。お仕事が さくさく進む 魔法の言葉(五七五)。
されどしかして。仕事が終わった後、私はこんなことを思うようになっていました。
「バカじゃないの」
バカは標準語です。関西人に対して絶対に使ってはいけないNGワードです。なのに、私の脳内は「バカじゃないの」という言葉で占められるようになっていきました。
疲れていたのだと思います。周りの人が話すのを見て、それを猿のように真似ている自分に。9時から5時まで必死で「関西人」を演じている自分に。私が話している言葉はすべて「セリフ」であり、どんなに愛想よく話していても、私の脳は何も感じていませんでした。ときどき、自分が人形になったような気がしました。私自身は人形の頭の上のほうから、ぺらぺらと話す人形を眺めているのです。「バカじゃないの」と思いながら。
その後、まあまたしてもいろいろあって就労不可の診断を下され、現在のほぼひきこもりメンヘラ生活に至っています。
現在の生活では、関西弁を話すことはほぼありません。Twitterやらでネットスラング的に使うことはありますが、その程度でしょうか。あと阪神ー広島戦で、新井兄さんがバンバンヒットを打ったときに「どないやねん」とツッコむことはあります。阪神にいる間になぜ打たなんだ。
以上、すっかり長くなりましたが、何が言いたかったかというと
「母国語は大事です」
ってことです。いや、母国、日本なんだけどさ。
生まれて初めて習得した言葉で考えること、話すこと。私は幼稚園から高校までと、社会人生活の大半の期間に、それをすることができませんでした。
言葉と考えはつながっています。帰国子女の友達が「私は英語で話しているときと日本語で話しているときでは人格が違うんだ」と言っていました。アメリカ育ちの彼女は、英語で話しているときはすごく好戦的で、相手を言い負かそうとする気持ちが強くなるんだそうです。その2つの人格の間を揺れ動く自分について知るために、彼女は心理学を専攻したようです。
英語と日本語ほどの違いはないにせよ、私にとって関西弁と標準語は違います。関西弁を話すときの自分は、かなり必死です。間違えずに話すことだけ考えて(ついでに何か面白いこと言わなアカン、とか脱線して)、内容についてはあまり考えていません。中身がないのです。
今の私は、標準語で考えながらこの文章を書いています。これからも自分の言葉で考えながら、心から思っていることを書いていきたいと思います。